›9 28, 2004

三国志

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二日前より三国志((小説)全8巻 吉川英治著 講談社)を読み始めた
以前も読んだが再び読みたくなり、夜が更けるのも忘れて読んでいた。
特に諸葛孔明が登場してからは俄然面白くなる。

三国志のあらすじ

西暦184年 中国 後漢王朝は粗悪な政治で乱れていた。

この年ついに反乱が起きた。黄巾賊の反乱である。

この時、反乱の鎮圧に参加したのが劉備である。曹操も官軍として活躍する。

その後、乱は鎮圧されたが、宦官おかげで政治は乱れる。

宦官虐殺が行われるが、この機に乗じて西涼の董卓が政治を握った。

董卓の政治も自分のやりたい放題の政治であった。

しかし、董卓も部下の呂布に殺される。

この呂布も力をつけてきた曹操に 捕えられ、殺される。

劉備はこの時、曹操の元にいたが、曹操暗殺計画に参加して、逆に追われる身となる。

曹操は劉備を攻撃した。

劉備、関羽、張飛は離ればなれになって しまう。

関羽は曹操に捕まったが、関羽は劉備が生きていることを知って劉備の元に帰った。

曹操は官渡において袁紹を破 り、南下し荊州を攻めてきた。

劉備は軍師に諸葛亮を迎え、諸葛亮は呉の孫権と手を結んだ。

曹操は呉を攻めたが、赤壁の戦いで破れる。

その後、劉備は荊州の南部を手にいれ 、ホウ統を副軍師とした。

ホウ統の勧めで益州(蜀)取りに行くが落鳳坡にてホウ統が戦死。

諸葛亮が救援し益州(蜀)を取る。さらに漢中を取り、劉備は漢中王となる。

しかし、曹操と孫権が手を結び、留守の荊州を攻めた。

そのため、荊州城は呉にとられて、関羽は戦死。

関羽が死んでまもなく、持病の頭痛の悪化で曹操も病死。

呉への復讐にもえる劉備は孫権を攻めるが、夷陵において敗れ、その後白帝城にて病死。

諸葛亮は、劉備の息子・劉禅をたて、南の土地の反乱を平定する。

いよいよ、曹操の孫・曹叡が治める魏へ進行した。街亭の戦いでは、

部下の馬謖が命令違反をし敗退。

その後も、魏の軍師・司馬懿によってなかなか勝てない。

その中で、諸葛亮の病気も進行していた。五丈原でついに病死。

諸葛亮が死ぬ前に、部下に与えていた策で退却する。

この後、蜀では宦官政治で乱れきり、魏に降伏をして滅びた。

魏では蜀降伏の2年後、力をつけていた司馬一族(晋)に滅ぼされる。

呉では、孫権の孫の孫皓が、残虐政治を行ったので、政治が乱れ、晋に滅ぼされた。

西暦280年 中国は 三国ではなく新王朝・晋によって統一された。


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